スーパーボランティアと称される『尾畠春夫さんが気になる!』と思っていませんか?
この記事では、尾畠春夫さんの経歴・過去の功績・妻やご家族についてご紹介させて頂きます。
記事を読み終える頃には、尾畠さんについて理解が深まっていると幸いです。
では、早速みていきましょう。
目次
尾畠春夫(スーパーボランティア)の経歴と過去の功績は?
尾畠春夫(スーパーボランティア)の経歴と過去の功績は?
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尾畠春夫 (おばた はるお)
- 生年月日 1939年10月12日生
- 出身地 大分県国東市安岐町
- 肩書 スーパーボランティア
尾畠さんは、別府・下関市・神戸市などの鮮魚店で開業準備の為に、約10年間修行を重ねますが、給料が安かった事もあり、貯金がゼロで開業が出来ずにいたそうです。
そして、開業資金を得る為に上京し、大田区大森にある鳶・土木の会社に3年間出稼ぎに行く事となり、1968年大分に帰省後、結婚・開業を果たし、地元では一躍人気店となります。
40歳からは趣味で登山を始めますが、それと同時期に由布岳登山道の整備ボランティアを開始し、鮮魚店を閉店してまでも、ボランティア活動に専念する事となります。
これが尾畠さんの本格的なボランティア活動の始まりです。
尾畠春夫(スーパーボランティア)の過去の功績は?
尾畠さんの災害ボランティアは、沢山の被災地に足を運びボランティア活動を継続されています。
- 新潟県中越地震
- 東日本大震災
- 熊本地震
- 西日本豪雨
そして、数々のボランティア活動が表彰される事となります。
- 2012年 ごみゼロおおいた作戦功労賞 大分県
- 2014年 平成26年度地域環境美化功績者表彰 環境省
- 2018年 大分県功労者表彰 大分県
- 2018年 ユーキャン新語・流行語大賞にノミネート『スーパーボランティア』
- 2019年 令和願念防災功労者防災担当大臣表彰 など。
2018年には、山口県で行方不明となった2歳の男の子を無事救助し、一躍時の人となった事もありました。
ここで、尾畠さんのコメントを一つ紹介させて頂きます。
健康でいられるのも、社会の皆さんからいろんなことでお力添えいただいたから。自分が元気でこの世にいる間は、その恩返しをさせてもらいたい。ただそれだけです。あまり深い理由はありません。『かけた情けは水に流せ。受けた恩は石に刻め』って言うからね。
頭が上がりません…
尾畠春夫(スーパーボランティア)の妻や家族は心配しないのか?
尾畠春夫(スーパーボランティア)の妻や家族は心配しないのか?
尾畠さんは、全国各地を飛びまわってボランティア活動をされていますが、ご家族は心配しないのでしょうか?
尾畠さんの家族構成は、
- 奥さん
- 息子
- 娘
- 孫娘1人・孫息子4人
そして、奥さんは『自由にしたい』といって一人旅をしたっきり、まだ帰ってこないと言います。現在のご自宅は奥さんと老後をゆっくり過ごす為に購入したもので、奥さんも鍵は持っており、いつでも帰ってこれる状態にしているとか。
息子さんは、公務員で市役所にお勤めの様で、『国民の義務さえ果たしていれば何をしてもいい』というのが、尾畠さんの教育方針だそうです。
そして、尾畠さんの活動費はご自身の年金『約5万5000円』から捻出し、貯金はゼロに等しいと言います。
そんなお父さんを心配しないご家族はいないでしょうが、何を言っても聞く耳を持たないのかもしれませんね。
災害などが起こると、居ても立っても居られないのでしょうが、ご自身のお体を大切にしてほしいです…もう、80歳ですからね…
尾畠さんの事ですから、2020年7月の九州豪雨災害へも現れるかもしれないですね。
今後も尾畠さんを追っていきたいと思います。
尾畠春夫(スーパーボランティア)の経歴と過去の功績は?妻や家族は心配しないのか?まとめ
今回は、尾畠春夫(スーパーボランティア)の経歴と過去の功績は?妻や家族は心配しないのか?までまとめさせて頂きました。
簡単にまとめますと、
尾畠さんは、鮮魚店を閉めてまでもボランティア活動に尽力されている。
奥さんは、一人旅をされていて帰ってきていない。
今後も尾畠春夫さんを応援していきたいと思います。
では。